さぁ自分の脳をコントロールしよう

いつか何者かになる為に

多様性を認めて人生を生きやすくする方法

多様性という言葉、聞いたことありますよね。

意味としては、

多様性とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。

性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、

単純に「いろいろある」こととは異なる。

wikipediaには書かれています。

 

「○○歳なのに」

「大人なのに」

こんな言葉を人に言ったり、

人から聞いたり、

自分の頭の中で思ったりしていませんか?

 

それは自分の首を絞めます。

間違いなく。

 

他人に対してこのような言葉を

発するということは、

基本的に自分はそれをしてはいけない

ということになります。

 

つまり、

○○してはいけない自分で

あり続けなければいけない。

○○をする自分は許せない。

こういうことですね。

 

これでは窮屈な人生を

歩むことにならないでしょうか?

 

最近ではあらゆるものが

ハラスメントとして言われていますよね。

セクハラ、アルハラなどです。

これらは他人から

「男、女なのに」

「大人なのにお酒が飲めないのか」

こう言われることですね。

 

実際に口にしなくても

頭の中で言うだけで、

自分にも同じ縛りが発生します。

 

では、本題に戻ります。

多様性を認めるとは、

あの人は○○できなくていいし、

自分も○○できなくてもいい。

ということです。

 

さらには、

あの人は○○ができるけれども

自分は○○ができなくてもいい。

 

もしくは、

あの人は○○をしないけれども、

自分は○○をする自分である。

 

少し分かりにくい可能性があるので、

例を出します。

 

あの人はお酒を飲む楽しさを知っているという豊かさがある。

自分はお酒を飲めないので、節約ができるから豊かである。

何を豊かかと捉えることで、

生きやすさがガラッと変わります。

 

人と比べてはいけないと

言われてもついつい比べてしまうもの。

でも、よく考えてみると

そもそも比べる必要がないのです。

自分とまわりの人は違う生き物なのだから。

 

あとは何に目を向けて、

自分はどんな豊かさを持っているか

ということです。

 

お金を多く持つことが豊かだという人は、

お金がなくなると豊かでなくなってしまうのです。

 

お金がなくても豊かだと感じている人は、

お金で悩むことはほとんどないでしょう。

 

あなたにとっての

「豊かさ」とは何ですか?

一度、考えてみてください。

 

ただ、ここで1つ気を付けて欲しいのは、

どちらの考え方もあっていいということです。

 

つまり、

自分はそうは思わないけれども、

あなたはそう思うんだね。

これが多様性を認めること。

 

さらにお互いにこれがきちんとできることが

本当の相互理解です。

 

若者であろうが、

老人であろうが、

これを理解できていない人が

僕の人生経験上、かなり少ないように感じます。

そのせいでつらい思いをすることが

たくさんありました。

 

逆にこれに気付いてからは、

人間関係も良好ですし、

行きづらいと感じることもだいぶ減りました。

 

気付いたとしても簡単には変われません。

でも、意識するのです。

人と比べたときに、

人を非難したくなったときに。

 

頭の中で

「○○なのに」がよぎったら、

「できなくてもいい」と

言い換えるのです。

 

これが身に付いたとき、

あなたは今よりも生きやすくなります。

今日から、今から実践してみてください。

 

 

頭の中のネガティブな言葉を取り除く方法

「どうせ自分なんて」

「自分は何もできない」

こんな言葉を口にしてしまってませんか?

もしくは頭の中で考えていませんか?

いわゆる鬱状態の人は

このようなネガティブな言葉が

頭を支配しています。

 

僕もそうでした。

漠然とした不安に支配されるのです。

そこから解放されようと

人やモノに依存していました。

 

そこからどのようにして、

ネガティブな言葉を取り除いたのか。

それは

「ありのままの自分を受け入れる」

ことで解決しました。

 

「ありのままの自分を受け入れる」

とはどういうことなのでしょうか?

もし、あなたが本当に何もできなくても

それでいいと思うことです。

 

鬱状態の人は責任の矛先が

自分に向いています。

「こんなこともできない」

「こんなんじゃダメだ」

こんな風に。

 

でも、それは誰が決めたのでしょうか?

もちろん誰かにそう言われたのかも知れません。

でも、それを信じているのは

自分自身ではないですか?

それは自分で自分自身の首を絞めているのと

同じことをしているのです。

 

あなたは今日を生きているだけでいいのです。

ご飯を食べれたら

お風呂に入れたら

外に出れたら

その事実を讃えるべきなのです。

 

最初はうまくいきません。

今まで「出来ない自分」を

見ているから。

何回も出来なかったことに

目を向けてしまいそうになります。

その度に出来たことを

見るように意識するのです。

 

そうして続けているうちに

自然と不安が消えていきます。

「こんな自分でもいいんだ」って。

 

鬱っぽい人や悩んでいる人、

1度試してみてください。

何もしないよりかは

試してみる価値ありますよ。

 

 

今までのやり方が正しいと本当に言えるのか?

「昔からこのやり方です」

「これでずっとやってきてます」

こんなセリフどんな職場でも

聞くことが多いです。

1つ前の記事でも言いましたが、

これを言う人は

「疑う」ことがありません。

今までのやり方に疑問を持たず、

思考停止した状態でこれが

正しいと思い込んでいます。

 

これが非常に危険です。

考えるという習慣も

身に付かないし、

業務の改善もできません。

その上、口を開けば

「忙しい」ばかり。

僕からすると

何をしているのか

まったく分かりません。

 

今までこうしてきたから

これが正しい、

なんとかやっていけているから

このままでいい。

自分の頭で考えることもせずに?

とんだ勘違いです。

 

組織の中で仕事をしている人が

ほとんどでしょうから、

意見をしにくい立場にいる人も

当然いるでしょう。

でも、

「自分ならこうするのにな」

の精神は忘れないでください。

 

僕も今、違う職場でも

働いているのですが、

あまりに今までのやり方に

囚われている人が多いです。

ただ、そこで働き始めたばかりなので、

あまり多くを語らないようにしています。

新人に担わされている役割は

仕事を一通り習得すること。

なので、言いたくなったら

「こうした方がいいのにな」

を心に留めています。

然るべき時がきたとき、

自分が一通り仕事を覚え、

指示をすることが任され、

ある程度裁量をもったときに

一気に開放しようと考えています。

あえて新人の役割を担っている感覚を

忘れないよう心掛けています。

演じているのです。

 

変化に慣れていない組織は

変化を嫌います。

怖いのです。

変わることが。

おそらく僕がどのポジションであろうが、

作業のやり方の変更を提案したときは

他のスタッフに嫌な顔されるでしょう。

しかし、人はご機嫌取りの為に

働いているのではありません。

本質的に正しいことであれば、

タイミングは見計らう必要はありますが、

発言する必要があるのです。

 

もっというと個人も変化を嫌います。

なんならもし、変化しても

元に戻ろうとしたがります。

今までこうだったから、

このやり方が慣れているから。

このそれぞれの中にある

ブロックされた部分を

いかに外していけるか。

でないと個人も組織も変化できません。

 

変わることのない組織は

変わり続ける組織と比べると

ずっと弱いです。

ただ、変化をもたらすには

自分の影響力、発言力がないと

聞き入れてもらいにくい事実もあります。

そのために力を蓄えるのです。

 

そもそも、下からの意見を

聞き入れることができない組織自体が

弱い組織なのですが。

それはなぜか?

実際に作業しているのは

末端のスタッフだからです。

最前線でプレイするスタッフが

最大限力を発揮できる場を

作ることこそ

本当のマネージメントです。

 

以上を踏まえて、

日々の作業のやり方を

よく観察してみてください。

さまざまな立場の人が

いるとは思いますが、

できることからでいいです。

何ができるか考えてみましょう。

 

毎日の業務に疑問を持てるかどうか

日々の仕事の中で

常に今のやり方がベストなのか

あなたは疑問を抱いていますか?

もし、疑問を抱けないのであれば

マズい可能性があります。

何故なら、日々の業務を

改善できないからです。

 

もし、自分で改善点が

見つからないのであれば

他人から意見を求めることも

有効的です。

指摘された部分を

自分でどう改善するのか

これを考えていくのです。

 

それを続けることにより

他の部分に関しても

疑問を抱きやすくなります。

今まで気にしていなかった

部分もこれでいいのかなと

思うようになるのです。

 

これが習慣化できるように

なれば強いサイクルが

できるので、成長の

土台を作ることができます。

疑問→工夫→改善

こんな具合ですね。

 

他人と比べてみるのも

今回はいいかもしれません。

仕事ができる人の行動を

よく観察してみてください。

30分早く来て予定の確認を

先に済ませていたり、

帰る前に次の日の準備を

しっかりしているなど

何か掴めることがあるはずです。

 

僕も飲食店で社員を

していた頃は

ただでさえ飲食店は

拘束時間が長いので、

早く帰りたいと

毎日感じていました。

そのために1時間早く出勤して、

先にある程度の仕事を

前倒しして終わらせていました。

準備や段取りにかなり

気を配っていたので、

バタつくことも減り、

余裕を持って仕事をしていました。

 

この日々の疑問が

出るようになれば

無駄な業務を

減らすことにも

繋がります。

「これは本当にやるべきなのか?」

と考えて必要でないのなら

それはしなくていいのです。

何も考えていないと

そのままの業務の量を

するハメになります。

しかも、どの会社でも

大体、仕事量はだんだんと

増えていくものです。

自分は1人しかいないのに、

仕事量だけ増えて

給料がそんなに変わらない。

なら、やらないことも

決めてしまえばいいのです。

人に振れるものなら

振ればいいのです。

その振った分の時間で

自分がやるべき仕事を

やっていくのです。

 

誰でもできることは

やらなくていいのです。

あなたが気付いて、

あなただけが出来る仕事

見つけてみませんか?

そのために毎日の業務に

疑問を持ちましょう。

 

 

 

他人の批判は聞かなくていいという話

「そんなことできるわけない」

みたいなこと

言ってくる人いますよね。

または、会社を辞めるときに

「そんなんで他のところで

 やっていけるわけがない」

こんなのもあると思います。

こういう他人の発言は

鵜呑みにしなくていいです。

 

何か目標がある場合、

「そんなことできるはずがない」

という人もいますね。

なぜできないのでしょう?

自分も納得できる理由なら

分かるのですが、

中身のない批判なのであれば、

聞く必要はありません

そもそもですが、

自分と他人は

違う生き物なのです。

もし、僕が言われた場合は

「それはあなたができないだけです、

 僕はできます」

と答えます。

 

他人の口は

好きなことを吐きます。

別に発言は自由なので、

何を吐いてもいいと思うのですが、

大事なのは

聞くべきことか

そうでないかです。

つまり、情報の選択と同じですね。

その選択の基準を持つために

自分の芯、核、軸が必要となります。

 

自分の芯、核、軸として

何が大事なのかを

はっきり自分の中で

認識しておくこと

非常に重要です。

これがないと

他人の発言でブレます。

すぐに揺らぎます。

 

 

会社を辞めるときの話の場合、

これを言うほとんどの人が

転職経験のない人が多いです。

転職したことない、

会社を辞めたことない人に

何が分かるのでしょう?

もう聞く必要がないことが

分かりましたね。

 

僕自身、大学卒業後に

就職した会社を辞めるときには

まったく同じことを言われました。

そのときの自分は

早く辞めたいという気持ちで

いっぱいでした。

なので、

辞められることが確定した段階で

社内の誰の言葉も

信用していなかったので、

まったく鵜呑みにしませんでした。

 

勤めていた間の人生は

自分の人生の中で

まだ肯定できませんし、

生きていながら、

自分の人生を

生きていなかったのです。

毎日、

「死んでいるのと同じだ」

感じていました。

 

 

辞めてから現在は

「生きている実感」があります。

正社員でなくなる

恐怖よりも

社会的な立場が

悪くなることよりも

安定した収入よりも

僕は「生きている実感」

欲しかったのです。

他人から言われたことを

鵜呑みにして、

あのまま勤め続けていたら

頭がどうにかなっていたのでは

ないかと思います。

 

 

あなたは今、

自分の人生を

生きていますか?

自分に一度、

問いかけてみてください。

不倫が何故ダメなのか答えられますか?

最近、話題の不倫について

Twitterではいろんな人が

「不倫はダメだ」

言っています。

それ自体はいいのですが、

なぜ、ダメなのでしょう?

僕は不倫を肯定したいわけでは

ありません。

不倫がダメな理由を

説明できないのに

ダメだと言ってしまうのが

ナンセンスではないか

と言いたいのです。

 

浮気も同じです。

なぜいけないこと

なのでしょうか?

それぞれが自分なりの

理由があった上で

浮気はいけないと

言うべきではないのでしょうか。

 

実際に今までの経験でいうと

なぜ、浮気はいけないのですか?

と聞くとはっきり理由を

言う人の方が少ないのが体感です。

中には

「だって浮気はダメでしょ」

と言う人もいます。

これでは説得力がないですよね。

 

なぜ、理由もないのに

批判するのかが

僕には不思議でたまりません。

こんなことを書くと

「ダメに決まってるじゃないか」

みたいなことを

言う人がいそうですが、

説得力なさ過ぎて

聞く気になりません。

 

大事なことは

良い、悪い

ではなく、

なぜ良くて

なぜ悪いのか

ということです。

 

世間的にダメだから

ダメなのでしょうか?

もうここまでくると

「世間とは」みたいな

話になってくるので、

割愛しますが。

 

「不倫された側が傷付くから」

ならまだ100歩譲って分かります。

どちらかというと個人的には

不倫をしていた事実よりも

それを相手にバレてしまうことが

いけないのではないかと

考えています。

不倫をされていた事実を知ったから

傷付いてしまうのでしょう。

なので、僕の見解は

「不倫を知られてしまうことが

 相手を傷付けることに

 なるからダメだ」

となります。

 

こういうことを言うと

面倒臭いやつだなと

思われそうですが、

理由を言えないことの方が

嫌なので、常になぜなのか

考えるようにしています。

 

この記事で僕が言いたいことは

自分の良い、悪いの発言は

自分なりの理由があった上で

発言するべきではと思うのです。

自分が好きなものが

なぜ好きなのか?

自分が嫌いなものが

なぜ嫌いなのか?

良いこととは?

悪いこととは?

一度考えてみてください。

今までの価値観が変わるかも

しれません。

家族という一番危険になり得る集団について

「家族は素晴らしい」

「家族は温かいものだ」

「家族は大事にしないといけない」

こんなこと人生で耳にしたこと

だれしもあると思います。

 

 

基本的にこんな言葉を言う人は

世の中のすべての家族が

良いものであるかのように

家族を定義しています。

でも、一度考えてみてください。

なぜそう言えるのか?

どの家族もそうなのか?

 

ではもし、

素晴らしいものであるはずの

家族間でのトラブルが

起きるのでしょう?

不倫、DV、虐待など

ぱっと思いつくだけで

いろいろ問題が出てきますよね。

つまり、

「家族は必ずしも

 良いものではない」

と言えます。

 

「家族だから」という理由で

許される風潮ありませんか?

僕は不思議でたまりません。

「家族だから」人を

殴っても許されるのでしょうか?

そんなことはもちろん

許されるものではありませんよね。

家族であっても

他人は他人です。

僕は個人的には

一番危ない集団になりやすい概念だと

感じています。

 

なぜなのか?

家の中で起きる暴力やパワハラ

外から見えないからです。

警察に通報したところで

夫婦喧嘩に取り合ってくれる

ものなのでしょうか?

おそらく1回目の通報では

対応してもらえないのでは?

と思います。

常習化してからの

対応なのではないでしょうか。

 

最近、話題になっている

不倫の話でも

夫が帰ってきたときに

ご飯が温かい状態で

用意されていないと

夫が外へ飲みに行き、

妻がそのご飯を捨てる

といった内容を見ました。

 

普通に考えれば

ありえないですよね?

人として。

でも、それがまかりとおってしまう。

これが「家族の怖さ」です。

他人ならキレ散らかしてるところですよね。

もしくは呆れるか。

そして、

この現場は夫と妻しか見ていないのです。

ということは、

これが表に出るまでは

妻は苦しみ続けることになります。

妻は何かの理由を自分で作って、

それでも夫との婚姻関係を

続ける選択をしていたのでしょう。

 

他人なら逃げますよね?

その正常な判断がしにくくなるのです。

「家族」という言葉のせいで。

 

僕は閉鎖されたつながりの中でこそ

その人の本当の姿が見えると

考えています。

おそらく、さきほどのご飯の話なら

妻の親や共通の友人が家にいたら

違う展開になっていた可能性が

高いですよね。

大人しくご飯を食べる可能性が

上がるでしょう。

 

閉鎖的な関係性こそ危険なのです。

あの有名な「囚人と看守」の

実験もその典型的な例の

1つと言えるでしょう。

 

自分の身を守るために、

相手が誰であろうが、

非人道的なことをされた場合は

その人から離れるべきです。

 

子どもならまだ分かります。

殴られるのは嫌だけど、

どうしていいか分からない

場合が多いと思うからです。

でも、いい大人なら

物理的、精神的問わず

ダメージを与えてくる相手が

家族にいるときは

離れる術があるのではないでしょうか?

傷つく必要はないのです。

 

これは体感ですが、

離婚していない夫婦の方が

多いような気がします。

ということは、

「幸せな家族は

 当たり前に存在していない」

ということになりませんか?

「家族だから」という理由で

もし、あなたが自分を犠牲にしているなら

すぐに離れる手段を考えてみてください。

「家族は素晴らしい」

という幻想は抱かないでください。