さぁ自分の脳をコントロールしよう

いつか何者かになる為に

今の自分について、自分が今いる地点の再確認。

今、こうして記事を書いているということは何かを言いたいということ。

何もしてきていない自分にとってやりたいことがないのは当たり前のことなのかもしれない。

この瞬間でさえ何もないからこうして書いている。

いわば逃げみたいなもの。

こうやって書くことによって自分は何かをしているんだという満足感を得たいのだと思う。

だとしても、何もしないよりかはマシだと思う。

 

小さいときから親元で育たず、母親は精神系の病気にかかっていて(今、現在も)、お金を持っているだけの祖母のもとで育ちました。

人から怒られることはあっても叱られることもなく、褒められることもない。

祖母が買ってくれたゲームは無限に僕を楽しませてくれた。

その結果、みんなが外で遊んでいるときも僕は家でゲームをしていました。

そんな幼少期を過ごしたせいなのか人とうまく付き合えません。

自分の思っていることが言えない。

嫌なことを嫌だと言えない。

人と喧嘩ができない。

自分の会いたい人以外と会うとすごく疲れる。

そんな大人になってしまいました。

 

大学卒業後、就職した会社も3年ほどで辞め、大学生時代から通ってた居酒屋でバイトから社員へ。

社員になるつもりはなかったのですが、やってみたことがないことなのでとりあえずやってみようという気持ちで社員になりました。

以前の会社に比べたら仕事内容自体はそれほど嫌でもなく、好きなお客様との会話は楽しい。

ただ、店に来てくれたお客様を満足して帰ってもらいたいという気持ちはあるものの、僕は飲食店自体には興味はありません。

先輩方は新しいお店に食べに行って日々勉強されていますが、そこまでの熱はありません。

もし、仮に自分の働きが認められて店長になってくれないかとこの先言われたところで自分のやりたいことではないので、首を縦に振る自信がありません。

 

では、何をしたいのでしょう?

何をやりたいのでしょう?

そう、頭で考えても出てこないのです。

どなたかのブログかツイッターで「やりたいことは頭で考えても出てこない。まずやってみてやりたいかどうか判断する」と書かれていて、ハッとさせられました。

だからだ。やりたいことが出てこないのは。

 

たまたまお店に来てくれたるってぃさん、あんちゃさんに影響されて始めたブログも1ヶ月持ちませんでした。

ブログはやりたいことではないのかもしれません。

ただ、歳を重ねるごとに愚痴や話を聞いてくれる友人も減り、恋人もいない状態で自分の日々感じている違和感やフラストレーションを吐き出したいとは思っています。

人には面と向かって言えなくとも、ここなら書ける。

自分の正義を貫ける。自分は間違っていないと自分を大事にしてあげられる。

 

僕はいつ死んでしまってもいいと日々思っています。

何一つ肯定できない人生なんてこの瞬間に終わってしまっても何も未練がないからです。

だけれども、27年間も生きてしまった。

死ぬことすら怖くてできなかった。

毎日消えたいと願って年月を重ねてしまった。

 

本音はこうです。

どこかで肯定してあげたい。

生まれて、歳を取ってよかったと思える人生でありたい。

そのために今、自分ができることは?

それがブログでなかったとしても何かをする。

孤独と向き合いたいのかもしれません。

何もできない自分への小さな反抗なのでしょう。

 

ブログをこれから毎日更新していきますと宣言はできないですが、何かをする時間を設けたいと考えています。

全てに興味がなくなってしまったわけではない。

少しでも興味を持ったものはやってみようと思います。

27歳の言うことでないことは分かっていますが、これが現実です。